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2019-10-08

想いをいける

家元研究科に行ってきたのだよ
今月のテーマは「相手を想定して」

“想定した相手が緑が好きだから緑色にしました”みたいなのでいいんでしょ?
なんて話されてた方がいたし、わたしもだいたいそんなつもりでいたのだよね

いけ始める前に講師から説明があったのだけど、
その時はよく理解できてなかったんだなと後から思った(この話はまた最後に登場)

講評の時にみんなの前でどういう相手を想定したか説明するんだろうなと思ったから
本当に想いの強い相手の話は恥ずかしいからしたくない
もうちょっと軽い気持ちの相手で、しかし、具体的な相手がいた方がイメージしやすい
(講師の先生からは想像上の人物でもOKという説明だった)
そこで、直接何度もお会いしたことあるけど、主にSNS上での知り合いを
相手として想定することにしたのね

その方と昨日たまたま会話したからなんだけど、以下は
作品をイメージするため、あるいは、講師の先生に説明するために
多少話を作ってるので実在の人と多少ずれているかもね

実際に先生に向けて話したのはこんな感じ
「想定したのは知り合いで、人生の先輩でもある方なのですが、
 いつも周囲に気を遣う優しい方で、とても素敵な方なのに、
 最近『配慮が足りない』と批判されてしまったという話を聞き、
 あんなに気を遣う方でもそんなことを言われてしまうのかと思い
 いろんなことを言う方がいるけれど、あまり気にせず前向きに
 頑張って欲しいという気持ちでいけました」

まぁ、これは作品が完成した後に考えた文章なのだけどねw

野バラ、トルコキキョウ

実際には何を考えながらいけていたかと言うとだね
まず、花材を選ぶにあたっては、
その方もカエル好きなので緑がいいなと思って色づく前の野バラ(実)と、
アンティークな感じのなんとも言えない色合いが気に入ってトルコキキョウを選んだ

花器は使ったことのないもので穴が開いた花器が野バラを絡ませるのに
ちょうど良さそうだったし、面白そうだと思って選んだ

後は野バラの枝の曲がりをどうするか考えた時に、
その方は昨日ちょっと残念なことがあったのを励まそうと思ったのが
きっかけなんだから、上向きにしておこうと思ったんだよね

しかし野バラって小枝がピンピンあちこちに向いてしまう
どこの枝を整理して、どういう動きにするかってことに悩んで
結構時間取られてしまったかな

小枝もなんとなく上に向けようと思い、絡ませたら一箇所に実がたくさん集まったので
じゃあ、花もその位置に集めようって思ったのだよ
その方はSNS上で丁寧に一人一人に返事を書くので、みんなが集まってくるし
集まるってことは良いことばかりでもなくあまり良い意味ではない「絡む」という
こともあるのかな、なんてことも思ったりしてねw

やっと花を入れ始めた時に「間もなく終了時間」と宣告があり
すっかり慌ててしまったんだ(ここでカエルタオルをゴミ箱に捨ててしまったようだ)
だから花の処理は結構いい加減…

これはダメ出しされるだろうと覚悟して講評に臨んだら
上のわたしの説明を聞いて先生は「ほんとにそうよねぇ」とおっしゃって
「トルコキキョウの繊細な線がその方の繊細さを表してる気がします」
あら?
「右側の穴の中をきれいに見せたいのと、
この繊細な線をもっと活かすために葉を
どこまで落とすかをもう少し考えると良いと思います」
あらあら?

拍子抜けするくらいダメ出しされなくて、逆に不安になってしまうw

他の方は、友達が家に遊びに来た時の楽しい気持ちだったり、
死んでしまった愛犬だったり、内臓の手術をしたご主人だったり
いろんな話を聞いてこれはカウンセリングかなと思うくらいだったよ

花をいけることで自分も癒されるってことはあるけど
そこにさらに相手を想定して想いを込めることで、また違う癒しになる
まさにカウンセリングみたいなものなのかもしれないなぁと思った

で、最初に戻って、講師の先生がいけ始める前にしてくれた説明は
「いけばなする時は割とこの花材を使いたいとか、こういう風にいけたい
 みたいな入り方をすることが多いけれど、
 相手を想定していけることで違う視点になる」

終わってみると、確かにそうだと思ったのだよ
後付けで考えた説明文でも自分の中で説得力が増して、
その説明文に合わせて微調整しようと思うようになるからね
カエル好きだから緑でいいや、なんて軽い感じでは済まないのだ

いつもとは違った面白い体験になったのだ、うむ

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2 件のコメント:

しょう さんのコメント...

いけばなって深い。
自分は見てステキとか、キレイとか感想はあるけれど、花をどうしたらいかせるかとか、むしろ自分が癒されるために無心でいけるのかと思っていた。
なんか思いやっていけている王様の姿を勝手に想像して感動。☺

ピョントル(修行蛙) さんのコメント...

いけばなの起源は仏様へのお供えなので
誰かを想って(人は亡くなると仏様になるので)いけるものなのかも

「自分のため」だけにいけるって人は少ない気がしますね
誰かに見てもらいたい=見た人を癒したい、楽しんでほしい
花を飾る場の雰囲気を明るくしたい
刈り取られた植物の命を活かしたい...等々
根底には「自分以外に向けた愛」が詰まってるものですよ
(なんてエラソーに言ってみましたw)