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2011-04-28

花瓶で実践

草月は自由だ 何でもアリだ 個性だ

とばかり書いていると

じゃ、習う必要なんてないじゃない 何を教わるの

とお叱りを受けそうだ

いけるための基本となるこころ基礎となる技術や知識あっての自由

技術は実際に何度もやってみて身につくもの
先生が生徒の作品に手を入れるのは最小限にすべきだ
手を入れる代わりに、こころを配るポイントを説明するのがよい

わたしがいけばなを習い始めのころは、剣山を使っていける花器なんて持ってなかった
必然的に花瓶にいけることになる
親先生に「いけばなを習っているのだから花瓶でも実践してね」と言われたもののどうしたら良いか分からなかった



カーネーション、かすみ草

最初の頃はこんな感じ

ストンと入れて、花瓶の底に茎がついているこの状態は
「お風呂につかっているみたい

安定感がありすぎる=花の向きや動きが制限されてキュウクツ


少し上達したのがこちら




茎の先端は底ではなく、花瓶の側面につけるようにしていける
と、
花瓶の上方に大きな空間がうまれる

ガラスの器に花をいけるときは、水中の茎の見え方にもこころを配る

茎のぎゅうぎゅう詰めはダメ

のびのびして見えるよう水中での茎の長さも調節する

中学時代に華道部だった人は、先生になおされまくって(しょんぼり?)家に帰ると
お母さんが“母流”で花をいけてくれたらしい

もうちょっと練習してみよう、と思う気持ちを彼女に持たせてあげられなかったことは重ね重ね残念でたまらない

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